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時空のデーモン めもらるクーク

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時空のデーモン めもらるクーク1~3巻/丸戸史明かんなぎれい

 写真を見る限り表紙に美少女が描かれたよくあるライトノベル、、、とお思いだと思いますが、ではレーベルはどこでしょうと訊かれると、はたと答えに窮することだと思います。それもそのはず、この「めもらるクーク」は同人誌なのですから当然です。

 「WHITE ALBUM2」、「冴えない彼女の育てかた」などでお馴染みのシナリオライター丸戸史明氏が出している同人小説シリーズ、それが「めもらるクーク」です。

 冴えカノファンとして、丸戸ファンとしてめもらるクークはなんとしても読みたいと常日頃から思っていたのですが、一昔前の同人誌のためなかなか手に入らず。というか委託販売先のとらのあなでは、もはや絶版扱いで、現在市場に出回っているのは中古のみ、一部はプレミアとなり値が高騰している状態なのです。したがって僕も泣く泣く駿河屋のお世話になり、比較的手に入りやすい1~3巻までの三冊を購入した次第です。

 丸戸ファンとしてはぜひ新品の状態で手に入れたかったっていうか、作者に利益のある形で購入したかったのですが、、、こればかりはしかたないですよね?もし再販してくださるならコミケ行きますよ?夜行バスに揺られて上京しちゃいますよ?ビル見上げてキョロキョロしちゃいますよ?だから丸戸先生!ぜひ再販してくださいってか続刊出してくださいお願いします_(._.)_

 ・・・

 ということで前置きはここまでにして内容に入りますよー。

 美少女ゲームの企画家である“私”。気分転換にふと古ぼけたビルに立ち寄ると、そこは今流行の精神科。お店の名は”三階クリニック”。
そこでは過去を悔いる人間たちが集っていた。

カウンセラーになりたい俊介、借金返済を夢見る駿夫、犬も食わない喧嘩を三年間も続ける千秋と靖のカップル、母親にパートで働かせて自分は働かない篤。

そして誰もが憧れる魔界のカリスマ、空子。みんな煤けて見える。

企画に煮詰まっていた“私”は、彼らをモデルにとある小説を考える(美少女ゲームは?)。

注)あらすじと本編は一切関係がありません。

 というのが公式の一巻あらすじなのですが、まあわかりませんよねってか注)あらすじと本編は一切関係がありません。って書いてるもん。

 まあわかることは、この小説が同人らしく作者の趣味に走ったものであるということこらいですかねえ。それこそがこの作品の全てだという意見はさておいて。

 簡単にあらすじを書くとすると、時空を操る悪魔クーク(ヒロイン)とそのヒモ兼保護者かつ被保護者である俊介(主人公)が、過去に未練を残した相談者たちの悩みを、ドラえもんよろしく過去に戻って解決しようという何でもありの話となっています。

 ちゃんこ鍋のように好きなもの全部ぶっこんでみた、みたいな小説ですが、それでもしっかりカツオ節ーーじゃなかった、丸戸節が効いている。楽しく笑えて和んで萌えて、ちょっぴりの辛みを加えつつ、最後はしっとりしんみりとーーそんな丸戸作品になっているんだからすごい。てか面白いんすよ、ぜひ読んで! 丸戸作品のセルフパロディもりもりだから丸戸ファンほど楽しめるよってか丸戸本人登場しちゃっているからねマジで!?

 ・・・

 さて何を書きましょうか。一応ワナビブログなのでそれらしいことを書かないとこのままだとただのレビューになっちゃう、いやそれでもいいんだけど。

 って書くことは決まっているんでした。「耳のいい作家」と「文体」についてです。

(1)「耳のいい作家」

 おそらく多くの人にとって初めて耳にする言葉だと思います。僕もそうでした。

 その言葉はめもらるクーク一巻末尾の、あの「るーすぼーい」氏が寄せた解説である「解説ではありません」に書かれていて、どうやらアメリカのほうの言葉で、氏いわく会話文のセンスを称えた誉め言葉だそうです。

 氏の引用で申し訳ないのですが、

 私たちが普段使う日常会話は文法どおりにはいきませんし、無駄が多かったり、相手に意味が通じなかったりします。文法を崩した上で、会話としてのリアリティを保ったまま、きちんと読み手に意味が伝わったとき始めて「耳のいい作家」という称号が与えられるのだそうです。

 なるほど。

 丸戸史明は会話の天才、と言うのは誰もが認めるところですが、ではどこがうまいのかと訊かれたら、それはたぶん氏の会話は生きているという点に尽きると思います。

 小説を書くようになってわかったのですが、会話を生かすことは本当に難しい!

 どうしても死んだ会話になってしまいます。死んだ会話とは何かというと、ただの情報の交換になってしまうということです。

 本来会話というのは二人(もしくは複数人が)、自分の考えに基づき交互に言葉を投げかけ合うものであるものだと思います。そのとき僕らは何を考えているのか。言葉を発するとき僕らは何を思って口を開くか。当たり前かと思いますが、たいていは自分の言いたいことを言うんじゃないでしょうか。相手の発言を聞いて自分が思ったことだったり、思いついた面白い返しだったり、相手の言ったことでわからないことを訊き返したり。

 ところが僕が会話を書こうとすると、物語の進行上相手に話させたい内容があって、

それを言わせるために登場人物に質問させる、みたいになる。

 例えば今考えた即興のものだけど、

 、、、って例を挙げようと五分ぐらい考えたけど浮かばなかったので割愛

 う~ん、今ここでは浮かばなかったんだけど、書いてると山ほど今話してるような感覚に陥るんですよ。会話が死んでるんですよねえ。

 ・・・

 あ!後、物語上必要な会話だけをさせてしまって、必要ない会話をさせるを躊躇ってしまうところがあります。

 これは例が浮かびます。例えば今アニメを放映しているライトノベル妹さえいればいい。」で主人公伊月と那由多と京の三人で沖縄旅行に行くところ。那由多の求愛を伊月が言葉の言い換えで誤魔化すシーン。えっと、伊月に差し出された玉子を那由多がえっちに食べるシーンです。

 あそこの会話とか正直、本編にはまったく関係してきませんよね。あそこのシーンがなくても沖縄旅行のエピソードは成り立つようなものだけどしっかり入っている。

 一見無駄に見えるシーンだけど、キャラを立たせるものって結局こういう会話なんだと思います。ストーリーじゃなくてこういった何気ない会話が記憶に残る。こうやって現に僕がいちばん印象に残ってるシーンがそこですし。

 そして! 僕はこういった会話を抜かしてしまう傾向にあります。

 ストーリーに関係がない会話を入れるのが恐い、酷く浮いているように感じてしまう。勇気をもって、会話を信頼して、書いてみようと思います。考えればめもらるクークも、ってか丸戸の会話ってストーリーに関係ないものが多いし、そしてその会話こそ読みたいって思ってる自分がいるくらいだし、、、。

 う~ん、会話ってセンスなのかなあ。マクドナルドで女子高生の会話を盗み聞きするって練習法が実際あるみたいですが、僕には無理なのでおとなしく書くだけです。あとSSとか書いてみるのもいいかも、いやその前に今書いてるの完成させろよってのはもう何回目だよ……。

 ・・・

(2)文体

 めもらるクークを読んでいて思ったんですが、丸戸史明って文体がぶれないなあと。エロゲ―にしろ、ラノベにしろ、同人誌にしろ、丸戸のテキストは丸戸のものなんだなあと。もし知らない文章を渡されてこれはだれが書いたものか当てろって言われても丸戸の書いたものなら当てられる自信があります。

 自分の文体を獲得するってこういうことなんだあと思いました。考えてみれば売れている作家ってだいたい自分の文体を持っているような気がします。ハルヒのモノローグ体とか、俺妹とか、俺ガイルなんかも顕著ですね。とらドラのハイテンションな、心情描写で殴るような文体も竹ゆゆのものですし、秋山瑞人にいたってはその文体にファンができるほどですし。ラノベに限らず、西尾維新とかまさに西尾維新ですし、村上春樹の翻訳調もよく話題に上がりますし、僕の好きな森見登美彦だって、あのなんちゃって文語調を使いこなす作家は他にはなかなかいません。

 思ったんです、自分が一番書きやすい書き方ってあるのかなあって。

 それは見つけるものなのか、作り出すものなのか、はたまた、とりあえず真似から入ればいいものなのか。

 でもおそらくそれは、がむしゃらに書き続けて初めて手にするものなんでしょうね。文体を持ってるから売れるんじゃなくて、売れるほど書きまくっていれば自然と自分の癖が文章に出てしまうってだけなんでしょうね。

 とにかく書け、やっぱこれです。