月刊基地moratorium

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ラノベの挿絵に憧れて(2)

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 久しぶりに絵を描きました。

 ラノベでよくある『ラッキースケベ』のシチュエーションです。

 昔、ライトノベルを読み始めてすぐのころは、あまりこういったあからさまなサービスシーンってそんなに好きじゃなかったのですが、年々えっちなシーンの良さが分かるようになってきました。

 エロゲでいうと、シナリオ至上主義からいちゃらぶ萌えゲーもいけるようになった、みたいな。違うか。

 ただあの純粋だったころに比べてむっつりになっただけですね。

  ・・・

 久しぶりに絵を描いてみて、自分の実力の低さを実感したし、もっと上手くなりたいと思いました。だけど、上手くなるにはもっともっと練習しなきゃいけないわけで。

 だから今、ラノベとか漫画とか映画とかの感想記事にイラストを添えたらどうかという地獄みたいなことを考えています。いい練習になるかな、と。

 それめっちゃやりたいが、労力が途方もなくて結局感想書かなくなるやつじゃないですか…?

 まあ、のんびりやっていきます。

『天気の子』感想。『君の名は。』が"即効性のエンタメ"ならば『天気の子』は"遅効性のエンタメ"だと思う

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 正直なところ、『天気の子』は『君の名は。2』になるんじゃないかと思っていました。

 それでもいい気がするし、新海誠はそれを望まれているように思わないでもないけど、でも全く同じじゃ面白くないなあ、と思っていて、でもいざ蓋を開けてみると、『君の名は。』とはアプローチが違った、それでいて『君の名は。』のような王道のエンタメになっていた。僕はまずそこに素直に感心してしまいました。

君の名は。』が"即効性のエンタメ"だとしたら、『天気の子』は僕にとって、"遅効性のエンタメ"でした。誤解を恐れずに言うなら、『天気の子』は『君の名は。』ほど分かりやすいエンタメじゃなかった。

君の名は。』の構成は本当にうまい。最初から最後までのおよそ100分を起承転結が一息に駆け抜ける爽快感がある。しかも転の部分には、瀧と三葉の間に3年間のタイムラグがあったというサプライズがあり、観客はなるほどと思う暇もなく隕石が落ちる壮大な山場へと一気に連れて行かれる。

君の名は。』はエンタメとして完成されていた。分かりやすい面白さがあった。これが僕が『君の名は。』を"即効性のエンタメ"と呼ぶ所以です。

 では『天気の子』はどうか。

 感想は人それぞれだと思いますが、僕は『天気の子』が『君の名は。』ほどキャッチーな話ではないなと思った。そもそも『入れ替わってる!?』がキャッチコピーの『君の名は。』に比べて、今作は『100%の晴れ女』。タイムスリップを扱いつつ果ては隕石が落ちるわけでもなく、今作は東京に"雨が降り続ける"というもの。

 だから展開も、入れ替わったり、タイムラグがあると判明したり、隕石が落ちて来たり、そういった"分かりやすさ"に欠ける印象がありました。だけど、だからこそ『天気の子』は『君の名は。』とは対照的な作品になっていると思っていて、僕はこの作品が、地に足の着いた、何回も何回もの繰り返しの視聴に耐えうるものになっていると思うのです。

 よくよく考えてみれば『君の名は。』のタイムラグは、あそこまで親しくなっておいて瀧と三葉はメールやら電話やらの連絡をしていなかったのかとか、3年後の日本で生活していて三葉は気付かなかったのか、3年前の日本にいて瀧はいままで西暦を確認していなかったのか、といったツッコミができてしまいますが、それを展開と構成の勢いで誤魔化しているところがあった。

 だけど『天気の子』にはファンタジーな要素はあっても不都合なところはなく、家出少年である帆高が東京の持つ理不尽さと戦いながら、"100%の晴れ女"の陽菜に出会って救い救われ、それでもやっぱり東京の理不尽さと戦って、といった一連の描写がしっかりとなされていて、リアリティとはまた違うかもしれないが、そこには一種の堅実さがある。宙に浮いた状態から地に足を着ける過程がしっかりと描かれている。

 思えば今作では、都会というものも丁寧に丁寧に描写している。

 前作『君の名は。』では都会の正の側面を描いていて、あれはファンタジーの中にある東京だったように思います。ですが、今作では都会の描写がバニラの高収入の曲から始まるように、負の側面を描いている。金のない、身寄りのない未成年にとって東京の街は雨のように冷たい。そこにパンケーキに喜ぶ男子高校生(中身は女子高生)はいなくて、いるのはガラの悪い客引きです。

 都会の描写について、特に僕は花火の描写で妙に納得してしまったんだけど、雨で中止になりそうな花火大会を陽菜が晴れにすることで無事花火が打ち上がるシーンがあるんです。その花火というものが、アニメでよく見る平面的な描き方でなく、ドローンで見下ろすように撮影したものになっていた。つまり、新海誠にとって、花火とは東京のビル群に勝てず見下ろされる存在なんです。田舎だったらこんな描写はしない。花火より高いビル群のある東京だからこその描写。新海誠は今作で、徹底して"東京"というものを丁寧に描いている。

 この地に足が着いている感じがたまらないんです。

 堅実に、一つ一つを丁寧に描写しながら、伏線を埋めながら、お話を進めていくこの感じ。

 ここに僕は『天気の子』の面白さがあると思っていて、『君の名は。』と比べて『天気の子』を"遅効性のエンタメ"と表現した理由でもあります。繰り返し繰り返し視聴しても飽きることがなく、むしろ噛めば噛むほど味が出るスルメのように、観るたびにより引き込まれていく喜びがあるのではないかと、そう思います。

 "雨と都会"というのがここまで相性がいいとは思いませんでした。"天気"という人類共通のテーマを扱いつつ、新海誠の情景描写が生きる"雨"と"都会"。思えば『君の名は。』じゃないにしても、高度に考え尽くされた、計算の上に成り立つ作品である気がします。

 とても面白かった。そして楽しかった。何回でも観たいし観ます。

 

 ちなみに、僕のいちばん好きなシーンは、陽菜がついていた"嘘"が明らかになるシーンです。『君の名は。』のライムラグの秘密と違って派手なサプライズではないですが僕は素直に驚いたし、"陽菜"というキャラクターが分かる素敵な嘘でした。

 なんだかんだあったけど最後はハッピーエンドだと思うし、あれは間違いなく文句なしのハッピーエンドでした。帆高と陽菜、二人ならこれからも大丈夫だ。

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 まあ色々語ったけど、天野陽菜がとても可愛いのでぜひ観てください。おさげ良き。

 あと、夏美がフェチズムの塊なので観てください。えっちなんだぁ…

佐薙ひじりに中原岬を探していた

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 三秋縋の恋する寄生虫を読んだ。

 三秋縋といえば中高生から圧倒的支持を得ている作家で、Twitterなんかでも、中高生と思われるアカウントのbioに好きな作家として挙げられてるのをたびたび見かける。

 で、なんかそれが気に食わなくて、厄介オタクである僕は食わず嫌いをして一切著作を読まなかったんだけど、恋する寄生虫からは何故かゼロ年代の香りがした。

 なのでしかたなく重い腰をあげて「大衆に迎合するとするか~」と試しに読んでみてその面白さに食事すらも面倒になるほど没頭して一日かけて読み終えたのが僕だった。

 

 と、ここで少しあらすじをば。

 主人公は高坂賢吾。正常な社会生活が送れないほどの潔癖症を患っていて、潔癖症のために会社を辞めてからというもの、生きているのか死んでいるのか分からないような生活を送っている。

 彼の唯一の趣味というのがマルウェア(広義の意味でのコンピュータウイルス)づくりなのだが、そのマルウェアの内容がなかなかのもので、それは、クリスマスの夜に、そのマルウェアに感染した端末の一切の通信をできなくすることでカップルの逢瀬の邪魔をするというものだった。←ちなみにここで引き込まれた僕は童貞です。

 でもまあ、彼のしているマルウェアづくりは犯罪なので、それを何故か嗅ぎつけた謎の男、和泉に脅され、「ある子供の面倒を見てもらいたい」と引き合わされた少女こそ、この作品のヒロイン、佐薙ひじりというわけだ。

 写真にある表紙絵を見てもらえばわかると思うが、佐薙ひじりは不良のような恰好をした少女だった。学校には行っていないようだが、なぜか寄生虫に関する学術書や論文を読み漁る希有な趣味を持っていて、寄生虫を象ったイヤリングまでつけていた。

 寄生虫マニアな不登校少女と潔癖症の無職。二人は、社会に適応できないという共通点から、だんだん距離を縮めていくが、はたして…

 というのが本作の序盤も序盤の導入となっています。

 

 で。まあ、タイトルにも書いてあるから、結論から言うんだけど、僕は佐薙ひじりに中原岬を見つけたんだよな。恋する寄生虫を読み進めるにあたり、要所要所でどうしようもなく、佐薙ひじりに中原岬が重なってくるのだ。

 NHKにようこそ!のオタクなら恋する寄生虫も読むべきだし、中原岬に救済を望むなら佐薙ひじりにも救済を求めてみてはどうだろうか。

 第一、見た目が似ている。寄せにいっているんじゃないかってくらい、似ている。

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左、不良のフリをするのを止めた佐薙ひじり。右、僕らの中原岬ちゃん

 そんでもって、二人ともなかなかに社会不適合者だ。中原岬はいわずもがな、佐薙ひじりも視線恐怖症を患っており、他人の視線が怖くて不登校になった少女だ。

 主人公も似ている。僕らの佐藤くんは引きこもりだが、高坂も潔癖症のため無職で、清潔な自室に閉じこもっている。

 そしてこれが一番大切なことなのだが、佐薙ひじりは高坂に依存する。高坂も佐薙ひじりに依存し、二人の関係はさながら比翼の鳥、作中では寄生虫のフタゴムシになぞらえられおり、つまりは共依存関係というやつだ。この関係が僕に、佐藤と岬ちゃんの関係を彷彿とさせた。

 孤独な一人と一人が、ともに寄り添い、必死に生きようとする。

 共依存といえばそれまでだが、この関係性が、僕はたまらなく好きだ。

 

 だが、まあ、恋する寄生虫NHKにようこそ!は違う。

 恋する寄生虫は綺麗な話だ。NHKにようこそ!のように、エロゲ―を作ろうとしたりしないし、下校中の女子小学生をカメラで盗撮しようとする主人公もいなければ、合法ドラッグでトリップしたりもしない。

 恋する寄生虫に出てくる単語は、コンピュータウイルスも、寄生虫の名前も、全てが全て学術的であり、詩的でさえある。

 文章も違えば、ラストも違う。

 NHKが文句なしのハッピーエンドなら、恋する寄生虫はそうじゃない。詳しく語ればネタバレになるので言わないが、彼らの幸せはひどく限定的で、だけど彼らの境遇を考えればこれ以上ないハッピーエンドで。だから、両者はやっぱり違うのだ。

 

 それでも佐薙ひじりに中原岬の面影を探してしまうのは、僕が中原岬にいまだ囚われているからか。それとも、佐薙ひじりという存在が、僕の中で、中原岬に取って代わろうとしているのか。

 一つ確かなことは、いい本に出会えたということだった。