放課後に特に目的もないやつらが何故か部室に集まって日が暮れるまで駄弁るということ。アニメ『GJ部』感想
クラス内ヒエラルキー
そう 誰が決めたわけでもなくいつの間にか作り上げられる1軍・2軍・3軍
全てにおいて中の下から中の上
妄想社会で毎日わーきゃー
1軍になりたいわけでもない
↑これ好き。
GJ部ロス
GJ部、日常系なのに時系列に話進んでるなーと思ったら最終話で3年組が卒業して泣いた。放課後に部室に集まって駄弁って時間を無駄にする感じ、本当に懐かしかった。もうあれをすることができないなんて…
— 月見里 (@tsukimi_no_sato) March 15, 2019
感想としてはこれだけです。
いや、僕は普通に日常系だと思っていたんですよ。原作のラノベは四コマ小説を自称しているし、アニメを観ても特にストーリーのようなものはなかったからある意味油断していました。だけどアニメを観ていて、途中で時系列に話が進んでいることに気付いたんですね。第7話の時点でGJ部に新入生が入ってくるので6話の間に作中で1年が経過している。
でもまあ卒業まではいかないだろうと思ってました。これは日常系なのだから、永遠とこの日常を繰り返すのだろうと。←卒業証書だと思ったら実は海苔巻きで一年時間が巻き戻ったアニメがあるらしい。
だというのにGJ部はよくしっかりと卒業まで描き切ったな、と。完璧です。日常系として卒業を仕掛けてくるのはなかなかなくて、というのも卒業をした途端、それはその作品の終わりを意味するからしたくてもできないという事情があるからなんだけど、GJ部のアニメは1クールで卒業まで描いていて好感が持てる。原作のほうも9巻で卒業してラストを迎えているようです。原作読まなくては。
終わったあとは「あー…終わってしまった…」とひたすらに虚無になっていました。もうGJ部の楽しい日常を観ることはできないんだと、心に穴が空いたようになっていた。これが『GJ部ロス』か。←今作った言葉。
GJ部にはエアポケットのような青春が描かれている
さて突然ですが、僕は高校時代に『放課後に目的もないやつらが何故か部室に集まって日が暮れるまで駄弁る』という経験をしていました。
皆さんにも経験があるのではないでしょうか。オタクは文化部になりがちですしね。
僕は高校のときは新聞部に所属していたんですけど、新聞部の部室はとても広くて、ソファはあるし、パソコンは4台あるし、旧部室棟とかいう辺境にあるおかげで顧問は全く来ないしでまさに楽園で、日が暮れるまでトランプやったり麻雀やったり宿題したりして部員たちとずっと駄弁ってました。←日常系アニメかな?
ちなみにPCに『リトルバスターズ!エクスタシー』がインストールされていたので、運動会のときなんか部室に籠ってエロゲ―をプレイするとかいうクソ陰キャプレイをかましていました。←これは日常系アニメ違う!
高校当時は新聞部のことをなんとも思っていなかったけど、今思えば貴重でかけがえのない経験をしたなと思うのです。1年の担任の先生は家庭科のおばちゃん先生だったんですけど、その人に「部活はどう?」と訊かれて、「何もしないでずっと駄弁ってます」と答えた。そしたら担任に「いいねー、青春じゃん」と言われた。当時はこれが青春だとは思ってなかったんですよね。青春というのはもっとひたむきで正のエネルギーに満ちていて、運動部に精を出していたり、恋人なんかを作ったり、そういうものだと思っていた。だけど今だから言えます。あれはたしかに青春でした。エアポケットのような青春でした。
GJ部にはあのとき僕が体験した高校時代が描かれていた。GJ部にはあのとき感じた全てがあった。
声が大きい部長がネタふりをして、それにキョロがしぶしぶ応えると、PCでチェスをやっていた紫音さんも話に加わり、恵ちゃんが紅茶をこたつに運んできてくれて、環はケーキケーキと叫び、綺羅々はソファで肉をほおばる。わけわかんなくて、だけどそれが日常で。モラトリアムとその終焉までがしっかりと描かれた日常系の傑作でした。
いろいろあったけど、僕の高校時代もなんだかんだ楽しかったな。高3の夏に同じ部活の同級生に告白してフラれたけどやっぱり楽しかった。いや嘘だやっぱり楽しくない恋人のいない高校生活なんて青春失格だ僕のGJ部にヒロインなんていなかった以上!